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春と夏だけでなく、秋には秋季大会も行なわれる高校野球。高知県大会に出場する強豪校について、その戦績や歴史をまとめました。全国大会への出場回数はもちろん、県内でのランキングや、輩出されたプロ野球選手などについても詳しく紹介します。高知県の高校からは、藤川球児投手をはじめとする優秀なプロ野球選手も多く、その地盤を作った高校野球部の歴史を紐解いてみましょう。

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2018年8月9日

【高校野球】高知大会の強豪校、古豪の野球部の歴史

【高校野球】高知大会の強豪校、古豪の野球部の歴史

2017年(平成29年)現在、高知県高野連に加盟する高校は32校。そのうち私立校は5校であり、大半を公立校が占めています。

高知県は全国的に見ても野球が盛んな地域であり、四国アイランドリーグplusの創設によって、高校野球においてもさらなる盛り上がりを見せ始めました。

それぞれの野球部に歴史があり、高知大会で常に上位を飾る強豪校もあれば、過去の栄光を取り戻すべく、地方大会での入賞を目指す古豪の学校もあり、その年ごとのチーム力に目が離せません。

高知の3強と呼ばれる明徳義塾高校高知高校高知商業はもちろん、それを追いかけ、大番狂わせを予感させる期待の県内強豪校について、その歴史や戦績を紹介しましょう。

高知の高校野球を牽引するトップ校「明徳義塾高校」

高知の高校野球を牽引するトップ校「明徳義塾高校」

高知県を代表する高校野球部と言えば、なんと言っても「明徳義塾高校」。常に大本命として注目される強豪校であり、夏の甲子園では2010年(平成22年)以降、2017年(平成29年)までに8年連続出場を決めています。

トップを走り続ける名門として、全国からの認知度も高い学校です。

春夏通算36回の全国大会出場。うち1回は優勝

地方大会では常に上位を飾り、王者としての貫禄を見せつける「明徳義塾高校」。2002年(平成14年)には全国制覇を実現し、名実ともに王座の地位を勝ち取りました。

夏の甲子園出場は、2017年(平成29年)までに実に19回という好成績。2010年(平成22年)以降は、8年連続で甲子園に進み、2012年(平成24年)と2016年(平成28年)にはベスト4まで進出しています。

高知を代表する甲子園常連校として、全国に名をはせる実力です。加えて、春の選抜には、17回の出場を果たし、2017年(平成29年)までに春夏通算で36回を記録。

1976年(昭和51年)の野球部創設後、わずか6年後となる1982年(昭和57年)には春の選抜に出場してきた強豪ですが、春については、最高成績でベスト4入りまでです。

「星雲寮」において消灯までの自主練を実践

明徳義塾高校」は、海外や他県からの受け入れにも積極的で、全生徒の約70%通学可能圏外からの入学となっています。

生徒の希望に応じて寮が用意されており、実際に多くの生徒が利用。男女別に分かれているだけでなく、男子については、コース別、クラブ別に分かれた大小13の寮が用意されており、その中のひとつに、野球部専用の星雲寮があります。

部員全員が生活を共にし、午前5時から始まる早朝練習から、消灯となる22時30分までの自主練まで、徹底された管理が行なわれているのも強さの秘密。

また、体づくりの基本となる食事も欠かせません。食事も練習の一部として、体力増強のために提供される朝食は、ご飯3杯もしくはパンなら6個、さらにタンパク質を中心とする動物性のおかずがたっぷり。普段の生活を通して、勝つための体づくりが徹底されています。

22名のOBがプロ入りと、県内最多

強豪校だけあって、プロ入りしたOBも22名と全国でもトップクラスの人数です。

有名どころと言えば、1992年(平成4年)にドラフト1位で広島カープに入団した町田公二郎氏。通算955試合に出場し、セ・リーグ代打本塁打通算20本という記録を所持しています。

その他、2016年度(平成28年度)シーズン終了現在は、ヤクルトの一軍野手コーチ補佐として活躍している森岡良介氏や、元楽天の北川倫太郎選手、同じく楽天の石橋良太投手、そしてオリックスで正捕手を務める伊藤光選手など、注目される選手も少なくありません。

プロ入りするOBが多く、明徳義塾高校卒業後、大学進学した後にプロ入りするケースも多いのが特徴。今後も増えていくものと予想されます。

【施設情報】

高知の3強として明徳義塾に食い下がる「高知高校」

明徳義塾高校とそれに肩を並べる2校、かつて高知ではこれらの強豪校は「3強」と呼ばれていました。そのひとつが、学校法人高知学園の運営する「高知高校」です。

1899年(明治32年)に創立され、100年以上の歴史を持つ高知県有数の私立校であり、地元での通称は「学園」。県内では唯一、春夏それぞれの優勝を経験しています。

春夏通算で30回の全国大会出場。優勝経験がある強豪

明徳義塾高校よりはやや少ないものの、春夏を通して全国へ行った回数は、2017年(平成29年)までに30回。

夏の甲子園では13回の出場経験があり、1964年(昭和39年)には早鞆高校(山口県)を2対0で下し、初優勝を飾りました。その後、1979年(昭和54年)のベスト8入りを最後に、2回戦敗退が続いています。

一方で、目覚ましいのが春の選抜での活躍です。選抜出場回数は夏よりも多い17回。1967年(昭和42年)に準優勝を記録し、1975年(昭和50年)には優勝を勝ち取りました。

その後、選抜出場時でも1回戦敗退が続いていましたが、2013年(平成25年)にはベスト4に進出。高知県大会での大きな壁となる明徳義塾高校の存在をうち下せる名門として、今後の復活が待たれます。

2016年(平成28年)に新グラウンドが完成

高知高校」野球部の活動を支えるために、2016年(平成28年)には新グラウンドが完成。両翼98mセンター122m面積13.300㎡という本格的な野球場となっています。

照明設備を完備し、補助グラウンドも併設されているため、対抗試合も開催しやすくなりました。完成時には、京都の強豪「龍谷大平安」を招いた招待試合も行なわれており、強みを目指すために必要な基盤が整備されています。

プロ入りしたOBは11名

高知高校」からプロ入りしたOBは11名。中でも、同校から初めてプロ入りを果たしたのが、有藤通世氏です。1968年(昭和43年)にドラフト1位で指名され、ロッテオリオンズに入団しました。

10度のベストナイン受賞歴からも分かるように、球界を代表する名サードとして活躍した選手です。新人王やダイヤモンドグラブ賞なども受賞し、入団以来8年連続20本塁打を記録した大御所でもあります。

その他、1970年代のロッテを牽引した弘田澄男氏や、漫画ドカベンに登場する微笑三太郎のモデルにもなった杉村繁氏など、注目を集めた選手を多く輩出しているのも特徴。

2000年(平成12年)以降も定期的なプロ入りがあり、2017年(平成29年)シーズン終了現在でも活躍するジャイアンツの和田恋選手や、ドラゴンズの木下拓哉選手もいます。

【施設情報】

夏の甲子園、県内最多出場「高知商業高校」

夏の甲子園、県内最多出場「高知商業」

高知県内唯一の市立である「高知商業高校」は、かつては高知の高校野球をリードする強豪であり、明徳義塾高知高校と並び、「3強」と呼ばれていました。近年、その勢いは弱まっているものの、高知の古豪として今もなおファンの多い学校です。

2006年(平成18年)には11年ぶりとなる夏の甲子園出場

「高知商業」は、高知高校より1年早い1898年(明治31年)に創立され、100年を超える歴史の一部として、野球部の輝かしい功績が今もなお語り継がれています。

2017年(平成29年)までに夏の甲子園には22回の出場、春の選抜には14回の出場と、県内最多となる記録。1948年(昭和23年)の選抜出場以来、1997年(平成9年)までは数年に一度の割合で甲子園出場を決める強豪でした。

春の選抜では、1950年(昭和25年)と1957年(昭和32年)の2回を決勝まで進出し、1980年(昭和55年)には、帝京高校を0点に抑え、1対0で念願の全国優勝をおさめています。

夏の甲子園での優勝経験はないものの、1978年(昭和53年)には決勝進出。当時のPL学院と対戦し、3対2という、あと一歩のところまで追い詰めました。

しかし、その後は勢いが徐々に衰え始め、過去には全国ベスト4入りも恒例だった同校は、1983年(昭和58年)~1986年(昭和61年)の3連続甲子園出場時には、ベスト8止まり。

さらに、選手権に出場する機会も徐々に減り、1997年(平成9年)からはしばらく途絶えました。復活するかのように見えた11年ぶり、2006年(平成18年)の選手権出場も2回戦敗退。その後は甲子園出場も影を潜めています。

高知大会では、ベスト8入りも多数

2007年(平成19年)以降の甲子園出場はないものの、地方大会においては上位入賞も多く、古豪としての威厳を見せています。2010年(平成22年)には、春夏の地方大会において、決勝進出。2015年(平成27年)には秋季四国大会にも出場し、その実力を発揮しました。

例年のようにベスト8以上の成績を保っており、県内ではトップクラスの強豪であることは間違いありません。

プロ入りしたOBは、注目される選手が多い

高知県内の野球部から、多数のプロ選手が生まれていますが、「高知商業」から輩出される選手たちは個性的な人が多いのも特徴的です。

例えば、1971年(昭和46年)に東映フライヤーズ入りした江本孟紀氏は、高知を代表する元プロ野球選手であり、現役引退後も野球解説者として活動しています。

また、1979年(昭和54年)にジャイアンツに入団した鹿取義隆氏は、日本を代表するリリーバーとして一躍有名になりました。

そして、同校を代表するOBとして忘れてはいけないのが藤川球児投手です。1999年(平成11年)の阪神入団後、2007年(平成19年)には年間46セーブという記録を達成しました。2013年(平成25年)以降は海外に渡りましたが、その後帰国して阪神に復帰。2016年(平成28年)までの日本プロ野球13年間で、605試合に登板しています。

同校からプロに移行したのは、全部で12名。高知を代表する古豪として、復活が待たれます。

商業高校ならではの取り組み多数

高知商業高校」は野球部の活躍だけでなく、学校としての活動からも目が離せません。国際コミュニケーション科を中心に、グローバルな支援を行なっています。

例えば、国際協力のひとつとしてカンボジアの地雷撤去支援を行なったり、生徒会が主体となってラオスに学校を建設する活動を展開したりと、国際色豊かな教育体制です。

商業高校ならではの学習を取り入れた支援体制で、生徒や教員を株主として商品を販売するプログラムを取り入れているのも特徴。こうした背景があることも、個性的なプロ野球選手が輩出される基盤となっていると言えます。

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統率された機敏な動きで全国を目指す「土佐高校」

統率された機敏な動きで全国を目指す「土佐高校」

2016年(平成28年)には、3年ぶりに春の選抜に出場した「土佐高校」。グラウンド内を全力疾走する姿が特徴的であり、高校生らしい真摯な姿勢が多くのファンを生み出しています。

過去には、春の選抜夏の甲子園準優勝となった経験もあり、高知の高校野球界の中心として君臨していた古豪です。

甲子園出場歴は春夏通算12回

土佐高校」の創立は1920年(大正9年)と古いものの、野球部が創設されたのは1947年(昭和22年)。その後、メキメキと力を付け、1952年(昭和27年)には春の選抜出場が決まります。

以降、春の選抜出場回数は2017年(平成29年)までに8回。1966年(昭和41年)には準優勝まで勝ち上がったものの、中京商(愛知県)に0対1で敗北しました。安打数は土佐の方が多かったものの、最後の点につながらず、涙をのんだ歴史があります。しかし、たった12人の部員ながら、全力疾走する姿が「大会の花」とたたえられました。

2000年代に入ってからの選抜出場は、2017年(平成29年)までに、2013年(平成25年)と2016年(平成28年)の2回。2016年大会は3年ぶりとなった春の選抜でしたが、初戦の相手は甲子園優勝常連校でもある「大阪桐蔭」であり、まさかの組み合わせに悔しい思いを残しました。

夏の甲子園では、こちらも準優勝まで勝ち進んだ1953年(昭和28年)の第35回大会以来、2017年(平成29年)までに4度の出場経験があります。その第35回選手権で決勝戦を戦ったのは、同じ四国勢となる松山商業。延長13回までねばったものの、2対3という僅差で勝ちを譲る形となりました。

その後は、1967年(昭和42年)にベスト8入りを果たし、1975年(昭和50年)は3回戦敗退。14年ぶりの選手権出場となった1989年(平成元年)には、1回戦敗退となっています。

土佐高校の伝統「勉強も生活も全力」

甲子園において、土佐高校の代名詞ともなっているのが「全力疾走」。着替えや片付けは7分以内、グラウンドで歩くのは3歩までと言う伝統があり、試合に限らず練習中においても、ポジションまでは常に全力疾走、グラウンド整備も全力で行なうというものです。

そうした徹底された行動を支えるのが、野球部寮となる「右文寮」での生活。土佐高校は歴史ある進学校であり、県内の偏差値ランキングでは常に1位をキープする学校です。寮においても、文武両道を意味する「右文尚武」の教訓のもと、学問との両立を図っています。厳しい練習のあとには、勉強も欠かしません。

寮内で補習が行なわれ、勉強後の約20分間は集中してスイングに取り組むなど、分単位でのスケジュールが組まれていることにも注目。少ない時間に集中して勉強と野球に取り組む姿勢が、「全力疾走」という伝統を生み出しています。

プロ入りしたOBはわずか2名。これからに期待

土佐高校」を出身とするプロ野球選手は、2017年(平成29年)現在でわずか2名。

ひとり目は、1963年(昭和38年)にジャイアンツに入団した大橋勲氏、2人目は、1972年(昭和47年)にカープから指名を受けたものの、拒否したのち社会人チームに所属した萩野友康氏です。

国際大会にも参加し、1975年(昭和50年)にはカナダで開催された第2回インターコンチネンタルカップ代表となり、投手として日本の準優勝に貢献しました。同校OBとして、2015年(平成27年)の夏から定期的に基本動作を指導しており、その経験が生きた実力の発揮が待たれます。

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2017年(平成29年)に40年ぶりの選抜出場を決めた「中村高校」

高知県高校野球において、新しい風を感じさせるのが「中村高校」です。1977年(昭和52年)には、部員数がたったの12人のチームでありながら、初出場した選抜で準優勝を果たし「二十四の瞳」として話題を呼んだ同校。

2016年(平成28年)の秋季大会では、明徳義塾を破って40年ぶりの高知大会優勝を決めています。

2017年(平成29年)「21世紀枠」での選抜出場

秋季大会で明徳義塾を破った「中村高校」ですが、残念ながら四国大会は初戦で敗退。対戦相手となった英明高校(香川)とは、13回となる延長戦の末に5対7で敗れるという残念な結果となります。

しかし、四国地区選考会では、進学校でありながら高知大会を制する実力があることや、専用の練習場がなく、限られた条件下にありながらそのハンディを克服していることを評価。「21世紀枠」として、2017年(平成29年)選抜大会への40年ぶりとなる同校の出場を決めました。

このときの部員数は、16名。県内強豪校と比較しても、充分とは言えない練習環境や少ない人数という不利な点を抱えながら、勝ち抜いてきたチーム力の今後に期待が寄せられています。

「応援団最優秀賞」に至った地域と学校の一体感

21世紀枠」で出場した第89回選抜も、前橋育英(群馬)と対戦し、初戦1対5で1回戦敗退。しかし、そのときの応援が感動を呼び、「応援団最優秀賞」を受賞しました。

生徒有志や卒業生ら約200人が中心となり、地域住民を加えて5,000人を超える大応援団を結成。青や黄色のカラフルなジャンパーに身を包み、四万十川や川岸に咲く菜の花を表現しました。

その中でも、人文字で「N」を形作り、視覚的にも注目される見事さと迫力ある応援が評価されています。

施設の整わない制限の中で強さを見せる

中村高校」がクローズアップされる理由のひとつには、野球部の練習環境が整わない中でがんばっている姿があります。

21世紀枠に選出されたことも、専用の練習場がないだけでなく、グラウンドを使えるのは週に2日だけという制限がありながら、秋季大会で明徳義塾を破ったことが大きな評価につながりました。

グラウンドを使用できるのは、火曜と木曜だけであり、しかも土曜の午前中には進学補習を受けなければいけません。公立の進学校として補習も多く、平日の全体練習は3時間程度。あとは、帰宅後の自主練を徹底することで、足りない時間をカバーしています。

周囲に高校も少ないため、日曜に行なう練習試合は常に遠征。そうした野球部を支えてくれるのが、保護者や地域です。

高知県高校野球でトップを走る明徳義塾は、海外や他県からの入学も多く、そうした周囲のサポートは受けにくい状況にあります。その点、「中村高校」は地元を巻き込んで戦うことができるのが強み。地域からの期待度も大きい同校に、さらなる活躍を期待しましょう。

プロ入りしたOBは3名

「二十四の瞳」と呼ばれた1977年(昭和52年)の選抜以来、目立った全国入賞歴はないものの、2017年(平成29年)までにOBから3名のプロ野球選手が生まれました。

ひとり目は、二十四の瞳のひとりで、エースとして出場していた山沖之彦氏です。1981年(昭和56年)に当時の阪急ブレーブスにドラフト1位で入団。その後は野球解説者としても活動し、テレビでのスポーツ番組にも登場する有名OBです。

残る2名は、甲子園への出場歴はないものの、1969年(昭和44年)に南海ホークスへ入団した北尾一喜氏、1975年(昭和50年)のドラフトにおいて2位指名を受け中日ドラゴンズに入団した美口博氏がいます。

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過疎地を救う光になるか「梼原高校」

2017年(平成29年)の夏の甲子園予選において、高知大会で決勝まで勝ち進み、県内トップの明徳義塾から3点を奪ったのが県立「梼原高校(ゆすはらこうこう)」です。

過疎化が進む梼原地区の町おこしとして、野球部が創立されたのが2007年(平成19年)。創立11年目という若い団体ながらも、地元の応援を受けて、これからが期待される学校のひとつとなっています。

「雲の上の町」梼原から野球で町おこし

高知県梼原町は、県西部にある人口約3,600人の小さな町です。NPO法人森林セラピーソサエティにより森林セラピー基地として認定される程、緑が豊かで、町の総面積の91%を森林が占めています。

高齢化率が40%を超える梼原町が、町おこしの一環として「野球」に着目しました。町内にある県立梼原高校に野球部を創設し、野球大国と言われる高知県内だからこその人口流出防止をもくろんだのが最初のきっかけ。

野球部が創設される直前の2006年(平成18年)には、高校への入学者数が17名と存続の危機に陥りました。校内に野球部があれば、球児たちの流出が防げるとして、町を挙げて支援を行なっています。

練習には場所や費用などの環境整備が欠かせません。日頃の練習場として、町有のグラウンドが提供され、夜間練習時の照明使用料も町が負担。閉園した公的施設を改修し、寮として使用されるようになりました。

その後の声かけもあり、2017年(平成29年)現在で、今や野球部員約50人にまで増加。県内各地から入学者が増えるという結果になりました。

夏の甲子園予選となる高知大会で決勝進出

町を挙げて支援してきた「梼原高校」野球部は、じわじわと実力を高め、創立から10年後となる2017年(平成29年)には、選手権高知大会の決勝進出を決めるまでとなりました。

決勝の対戦相手は、県内トップの明徳義塾。前年2016年(平成28年)の夏予選では、1回戦敗退だった同校は、強豪校から3点を勝ち取る結果となりました。残念ながら、3対7で敗れたものの、同校の実力を見せる試合として、今後ますます期待が膨らみます。

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伝統ある強豪校が入り乱れる高知県

野球人口の多い高知県では、甲子園経験のある強豪校が複数あり、地方大会の上位を争っています。

例年のように甲子園出場権を獲得する明徳義塾がトップを走るものの、その地位を狙う高知や高知商、中村、土佐とそれぞれの戦略が期待されるところです。

今回紹介していませんが、高知大会での上位常連校となる室戸高校県立岡豊高校など、まだまだあとを追う学校も少なくありません。さらには、大番狂わせとなる梼原高校の活躍も気になるところです。

2017年(平成29年)現在で8年連続での甲子園出場を決めた明徳義塾の独走も、伝統を守る名門や古豪、そして、新たな勢いとして目を光らせる新しいチームによって、ストップがかかる日があることと予想されます。

強豪チームがひしめく高知県高校野球に、今後も注目しましょう。

※この記事は、2018年4月時点の情報に基づいて作成されています。

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