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全国で4番目に参加校数が多いことで知られる、千葉大会。実力が拮抗する学校が多いことから「戦国千葉」と形容されることもあります。今回はその出場校の中から、まずは、多くのプロ野球選手を輩出し、輝かしい実績を残してきた強豪や古豪を紹介。そして、名将の就任により近年台頭してきた新興勢力なども、その強さの理由を含めてまとめていきます。

運上 俊と運上 さえみ
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2018年4月5日

【高校野球】千葉大会の強豪校、古豪の野球部の歴史

【高校野球】千葉大会の強豪校、古豪の野球部の歴史

戦国千葉」と称されることもある程、学校の数が多く、実力が拮抗している全国高等学校野球選手権千葉大会。千葉大会はその前身を含めると1918年(大正7年)から始まる長い歴史を誇ります。

そこに参加する学校には、古豪と呼ばれる「銚子商」、「成田」や、2000年代から頭角を現した「木更津総合」、「千葉経大附」など。また、安定した実力を保つ「習志野」、「市船橋」といった多種多様な背景を持つ強豪校に溢れています。

以上で紹介した学校を含め、今回は千葉大会でしのぎを削る7校を選びました。

“黒潮打線”で築いた輝かしい実績「銚子商」

“黒潮打線”で築いた輝かしい実績「銚子商」

千葉県立銚子商業高等学校(銚子商)は、1973年(昭和48年)から続く千葉大会の初代優勝校として知られています。また、その翌年の第2回千葉大会では2年連続で優勝し、代表として出場した夏の全国大会では、千葉県勢として2校目の優勝を飾りました。

千葉大会の前身である東関東大会や南関東大会を含めると、2017年(平成29年)の段階で、夏の甲子園へ12回の出場。春の甲子園へは8回の出場経験があり、どちらも歴代の大会参加校の中で最多記録です。

銚子商は、名将と呼ばれた斎藤一之監督が長年指揮を執り、監督の在籍中に春夏合わせて11回も甲子園に出場しました。

斎藤監督に師事した選手の中には、木樽正明氏篠塚和典(当時は篠塚利夫)氏、宇野勝氏など、のちに名だたるプロ野球チームで主力選手として活躍した生徒がいたことも有名です。

ちなみに、2005年(平成17年)には斉藤監督の実の息子である斉藤俊之氏が監督を務め、千葉大会で10年ぶりの優勝を勝ち取りました。

銚子商の野球は、しばしば、銚子が漁業で盛んなことから「黒潮打線」と呼ばれています。黒潮がとめどなく流れる姿から連想されるように、切れ目のない強力打線を擁している、という意味です。

先述したように、2005年(平成17年)以来優勝からは遠ざかっていますが、2017年(平成29年)の大会では5年ぶりに初戦を突破。その後、5回戦まで勝ち進み、9年ぶりにベスト16まで駒を進めることができました。輝かしい実績を持つ学校として、久々の優勝が期待されています。

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最強応援団を味方に進化し続ける強豪「習志野」

最強応援団を味方に進化し続ける強豪「習志野」

習志野市立習志野高等学校(習志野)は、千葉大会の前身である東関東大会等を含めると、千葉県勢として初めて夏の甲子園大会で優勝した学校です。

また、1974年(昭和49年)に銚子商が全国優勝を飾った翌年に、千葉大会を優勝し銚子商同様に全国優勝を達成。全国大会での優勝回数だと千葉県トップの実績を誇ります。2017年(平成29年)時点で、春のセンバツには3回出場。夏の選手権大会には8回出場しています。

習志野は、野球部以外にも多くの部活動が全国レベルの実力を持つことで知られ、その中でも吹奏楽部が特に有名です。

1981年(昭和56年)以来、全国大会で22回の金賞獲得を経験。この吹奏楽部は運動部の試合などに応援団として参加し、例にもれず野球部の応援にも駆け付け、「美爆音」と称される演奏を行ないます。規模の大きさや他の応援団をしのぐ実力の高さから、習志野野球部が行なう試合の風物詩と言っても過言ではありません。

応援団で知られる習志野ではありますが、多くのプロ野球選手を輩出する正真正銘の強豪校です。有名どころでは、阪神タイガースの二軍監督を務め、野球解説者としても活躍した掛布雅之氏。現役選手も2017年(平成29年)現在で、ソフトバンクから楽天に入団した山下斐紹選手などがいます。

現在では、古豪と呼ばれることも多いですが、2017年(平成29年)には千葉大会準優勝の成績を収め、全国大会まであと一歩でした。今後の復活が最も期待される有力校です。

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“高校ビッグ3”を輩出した古豪「成田」

“高校ビッグ3”を輩出した古豪「成田」

成田高等学校・付属中学校(成田)は、千葉県内の中高一貫の私立校です。

野球部は戦後間もない、1946年(昭和21年)~1948年(昭和23年)の3年連続で千葉大会の前身である南関東大会を制した古豪として知られています。2017年(平成29年)時点で、夏の甲子園には7回、春の甲子園には2回出場しました。

成田は、1955年(昭和30年)の南関東大会優勝から長い間、優勝のタイトルから遠ざかっていましたが、1990年(平成2年)の千葉大会で35年ぶりの優勝を飾ります。その後また、20年が経過した2010年(平成22年)に王者へと返り咲きを果たしました。

そして、成田出身の有名選手と言えば現在もロッテマリーンズで活躍する唐川侑己投手です。成田の大エースとしていまだなお語り継がれる唐川投手は、2005年(平成17年)の入学当初から非凡な才能を見せつけ、1年生ながら即ベンチ入り。彼の活躍により、同校初の春のセンバツ出場を勝ち取り、古豪の復活に一役買いました。

唐川投手を擁した3年間で、大本命と言われ続けながらも夏の甲子園出場の切符は獲得できませんでしたが、唐川投手自身はその実力が認められ成田初のドラフト1位指名でプロ野球界に進出。当時の有名高校球児である、大阪桐蔭高の中田翔や仙台育英高の佐藤由規と並び「高校ビッグ3」と呼ばれ、多くのメディアに取り上げられました。

以上のような唐川投手の出現などもあり、少しずつ実力を取り戻しつつある成田、古豪の復活を多くのファンが待ちわびています。

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2000年代の千葉大会を席巻する「木更津総合」

2000年代の千葉大会を席巻する「木更津総合」

木更津総合高等学校(木更津総合)は、千葉でも有数のいわゆる人数規模の大きいマンモス校として知られ、約1,800人もの生徒が在籍する私立高等学校です。

同校野球部は2000年代に入ってから、並み居る強豪の中でも突出した力を示すようになりました。2017年(平成29年)時点で、夏の甲子園には6回と春のセンバツに3回出場し、合わせて9回の内の8回の出場機会を2000年(平成12年)以降に獲得しています。

木更津総合の野球は、五島卓道監督が掲げる「考える野球」がモットー。練習時間の4分の1を自主練にあてることで、試合のピンチ時にも選手個々で冷静になれるような自主性を養っています。

また、同校ならではの光景として「全力校歌」が名物。甲子園で勝利を飾ると歌うことができる自校の校歌ですが、木更津総合の場合、部員全員がえび反りになりながらその校歌を熱唱します。部員の母校愛と一生懸命さが伝わる光景のひとつです。

同校野球部OBで今もなお活躍する、横浜DeNAベイスターズの井納翔一投手は、木更津総合卒業後、大学野球と社会人野球を経てようやくプロ野球の球団に入団した苦労人。2014年(平成26年)には月間MVPも獲得するなど着実に実績を残し、全国制覇を目指す母校の部員に大きな影響を与え続けています。

2016年(平成28年)の夏の甲子園大会では、ベスト8に進出した木更津総合。千葉県勢の中では最も全国制覇の夢に近い学校のひとつです。

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長年千葉の強豪として君臨「市船橋」

長年千葉の強豪として君臨「市船橋」

船橋市立船橋高等学校(市船橋)は、体育科を設置している程、スポーツ教育に熱心な学校として知られ、サッカーの名門として多くのタイトルをほしいままにしてきました。

野球部も同様に名門として認知されており、2017年(平成29年)時点で、夏の選手権大会に5回と春のセンバツに2回の出場を誇ります。

1993年(平成5年)に出場した夏の全国大会でのベスト4が最高成績。最後に千葉大会を制した2007年(平成19年)では、のちに福岡ソフトバンクホークスからドラフト1位で指名を受ける岩嵜翔投手山崎正貴氏の二枚看板が躍動しました。

その後の全国大会は初戦で敗れてしまったものの、岩嵜投手は千葉大会の準々決勝戦で無安打無失点を達成するなど、実力を存分に発揮し、2017年(平成29年)現在もソフトバンクの中継ぎのエースとして活躍し続けています。

2007年(平成19年)以降、千葉大会の優勝からは離れているものの2016年(平成28年)大会では木更津総合に次ぐ準優勝を収めるなど実力は健在。今後の優勝が有力視される学校のひとつです。

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名将率いる“全員野球”の「拓大紅陵」

名将率いる“全員野球”の「拓大紅陵」

拓殖大学紅陵高等学校(拓大紅陵)は、千葉県木更津市に立地する私立校です。

1984年(昭和59年)の千葉大会初優勝以来、2017年(平成29年)までに夏の甲子園には5回出場。春のセンバツには4回出場した実績があります。

拓大紅陵と言えば一番の特徴は、名将小枝守監督。1982年(昭和57年)に監督に就任するや否や、たった2年でチームを全国大会の舞台へと導き、同校が経験した春夏合わせた9回の全国大会出場もすべて、小枝監督の指揮があったからこその結果でした。

特に1992年(平成4年)の夏の甲子園では、優勝こそ逃したものの準優勝という輝かしい結果。ちなみに同大会では、初戦から準決勝まで異なる投手が勝ち投手になるという、甲子園でも初の記録も達成しています。

小枝監督は、2014年(平成26年)に監督を引退。しかし、拓大紅陵での実績が高く評価され、2016年(平成28年)より任期2年でU-18代表監督に就任しています。

同校野球部のOBには、現役プロ野球選手の加藤貴之投手がおり、北海道日本ハムファイターズに所属。2016年(平成28年)の入団一年目から7勝を収めるなど、今後も先発投手としての活躍が期待されています。

今現在も、音楽を流すことで効果的に素振りの量を増やす「ダンシング素振り」といった練習法などに、小枝監督時代からのノウハウが生きる拓大紅陵野球部。春夏通算10回目の出場を目指して、日々鍛錬を積んでいます。

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“守・破・離”の精神を守る「千葉経大附」

“守・破・離”の精神を守る「千葉経大附」

千葉経済大学附属高等学校(千葉経大附)は、木更津総合と並ぶ県内有数のマンモス校として知られています。運動部の活動を推進しており、自転車競技や卓球なども全国レベルの実力です。

同校野球部は、2004年(平成16年)に初めて千葉大会を優勝し、夏の甲子園に3回と春のセンバツに2回の出場実績があります。特に、2004年(平成16年)の夏の甲子園と2008年(平成20年)の春のセンバツではベスト4まで駒を進め、自他共に認める全国的な強豪校として名を知らしめました。

監督は2001年(平成13年)より就任した松本吉啓。千葉経大附の前には埼玉栄高校でも監督をしていた経験があり、1998年(平成10年)には同校を夏の甲子園初出場へと導きました。千葉経大附でも先述したように、春夏合わせて5回の出場を達成。実の息子である松本啓二朗選手丸佳浩選手のような現役プロ野球選手も輩出しています。

監督が就任以来掲げているチーム目標は「守・破・離」。基本を忠実に守り、それを次の段階で破り、離れることで新しいものを築き上げる、という意味です。

新興勢力の台頭から2008年(平成20年)以降、優勝から遠のいてはいますが、確固たる実績と目標を持つ名将のもと、復活が期待されています。

【施設情報】

※この記事は、2018年2月時点の情報に基づいて作成されています。

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