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強豪校揃いの高校野球王国として全国に知られる大阪。甲子園大会でも春夏を通じ、20回以上の優勝数を誇っています。そもそも大阪は「全国高等学校野球選手権(甲子園)大会」の前身となった「全国中等学校優勝野球大会」発祥の地(大阪府豊中市)です。大阪府から兵庫県西宮市の甲子園へと会場が移ったあとでも「大阪は高校野球のメッカ」という意識や思いが地元・大阪の高校野球関係者をはじめ、全国の高校野球ファンの間にも刻まれています。

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2018年4月26日

【高校野球】大阪大会の強豪校、古豪の野球部の歴史

【高校野球】大阪大会の強豪校、古豪の野球部の歴史

全国でも一、二を争う高校野球トップレベルの激戦区・大阪。府内には私立・国公立を合わせ、200弱の大阪大会の出場校がひしめき合っています。しかも甲子園に出場すると好成績を収める強豪・古豪校ばかり。実際、甲子園・春の大会では、出場校が選抜のために大阪代表同士で決勝戦が行なわれたこともある程です。そんな大阪の甲子園出場を賭けた夏の地区大会は、春の地区大会などの結果が反映されないノーシード制度。全国にも名を知られる強豪校同士が予選の1回戦や2回戦で戦うことも珍しくありません。これぞ「大阪を制する者が全国を制する」と言われるゆえんです。今回はその群雄割拠のエリアで名を知られる強豪校・古豪校の歴史や魅力を紹介していきます。

「大阪桐蔭」という最強猛者集団の合言葉は”一球同心”

「大阪桐蔭」という最強猛者集団の合言葉は”一球同心”

大阪桐蔭高等学校(以下、大阪桐蔭)は、全国から超高校生級の選手たちが集まった全国屈指の強豪です。

1988年(昭和63年)に創部された同校野球部。その短い歴史に反し、2017年(平成29年)夏の大会までに18回も出場した甲子園での成績は、春に2度、夏に4度、合計6度の優勝という輝かしい成績を高校球史に残しており、2012年(平成24年)には春夏連覇しました。

大阪桐蔭の持つ絶対的な強さの根幹にあるものは、チーム内での激しいレギュラー争い。全国から選りすぐられた好投手や強打者たちが、日夜しのぎを削り合うわけですから、その競争は熾烈を極めます。

試合で相手に勝利することよりも、チーム内のレギュラー争いで勝利することの方が難しいと言われる程です。甲子園春の大会で4番を打っていた選手が、半年後の甲子園夏の大会では、ベンチにすら入れなかったということもありました。

同校野球部員たちが、そんな過酷な環境に身を置けるのも、勝利に貪欲だからこそと言えるでしょう。その貪欲さが、ひとたび試合となれば、勝利という明確な目標の下、強固な団結力へと変貌を遂げます。

野球部員の全寮制度を敷き、「寮生活からチームの一体感を育てることも重要視している」という大阪桐蔭。同校野球部の初代監督・長沢和雄氏が作った部訓に「一球同心」という言葉があります。部員全員の心をひとつに結集させるという意味合いを持つものです。この言葉を代々の大阪桐蔭野球部が理解し、チーム内で切磋琢磨しているからこそ、揺るがない強豪の地位を築けたのだと言えます。

【施設情報】

限られた環境の中で生まれた「履正社」の自主性溢れる組織野球

限られた環境の中で生まれた「履正社」の自主性溢れる組織野球

大阪府内のみならず、その名前は全国にも知れ渡る甲子園の常連・履正社高等学校(以下、履正社)。大阪桐蔭と双璧をなす大阪を代表する関西屈指の強豪校です。

文武両道を掲げる履正社、もちろん野球部員も例外ではないと言います。他の生徒たちと同様、勉強にも力を入れているとのこと。そんな野球部には、専用の寮がなく基本的に全部員は自宅(下宿先)から通学しています。それゆえに他府県から選手を集めていません。

驚くことに2001年(平成13年)まで履正社には、スポーツ施設として野球部専用のグラウンド(野球場)もありませんでした。専用グラウンドができるまでは、他の部活動とコートを分け合うなどして練習に励んでいたのです。

しかも部員全員が自宅などから通学しているため、他の私学強豪校と比べた場合、極端に練習時間が少なく、平日は授業終了後の3時間程度。そういった環境のハンデを乗り越え、履正社はバント、守備、走塁などを軸とした細かい練習に時間を割き、いかに組織立った野球を実践していくかを念頭に置いています。また全体練習以外は選手たちの自主性を養うため、様々な自主練習に時間を費やしているところも特徴です。

そんな他の強豪校と一線を画す履正社の甲子園初出場は、1997年(平成9年)夏の大会。野球部の創部が1922年(大正11年)ですから、実に75年越しの悲願達成でした。

2017年(平成29年)の時点で、履正社が甲子園へ出場した回数は、春に7度、夏に3度。今後も大阪の高校野球界を独自の路線でリードしていく魅力ある名門校です。

【施設情報】

大阪を代表する”高校野球界の常勝軍団”その名は「PL学園」

大阪を代表する”高校野球界の常勝軍団”その名は「PL学園」

春夏それぞれの大会を合わせ、2017年(平成29年)までに37回も甲子園球場の土を踏んでいるPL(パーフェクトリバティー)学園高等学校(以下、PL学園)。1956年(昭和31年)に創部された同校野球部は、1962年(昭和37年)に甲子園大会(春)へ初出場を果たしました。

甲子園大会では春夏を通じて96勝を挙げているPL学園。さらに1981年(昭和56年)~1982年(昭和57年)の春大会連覇、1987年(昭和62年)の春夏大会連覇を含んだ合計7回の優勝経験を持つ強豪で、「高校野球界の常勝軍団」とも呼べる名門校です。

PL学園の燦然たる歴史の中でも、桑田真澄氏と清原和博氏の「KKコンビ」を擁した1983年(昭和58年)~1985年(昭和60年)は圧巻でした。「PL学園黄金時代」と呼ばれるその3年間では、甲子園大会に春夏5大会連続出場(2度の優勝、2度の準優勝、1度の4強)という偉業を達成。他を寄せ付けないPL学園の圧倒的な強さは、部員の全寮制度という、常に野球と向かい合う環境や姿勢の中で培われたものと言われています。

その名を全国に知られる強豪校ゆえ、のしかかる数々のプレッシャーに打ち勝つための豊富な練習や厳格な寮生活。そんな環境下で鍛錬を積んだPL学園野球部の精神力は並大抵ではありません。この精神力こそが「常勝軍団」を築いた基礎となったのです。

長く高校野球界の雄として名声を手に入れたPL学園。しかし、創部60年目の節目となる2016年(平成28年)夏の大阪地方大会(初戦敗退)を最後に、惜しまれつつも活動を休止しました。

【施設情報】

復活の狼煙(のろし)を上げる全国屈指の古豪「大体大浪商」

復活の狼煙(のろし)を上げる全国屈指の古豪「大体大浪商」

大阪体育大学浪商高等学校(以下、大体大浪商)は、古くから全国屈指の名門に数えられる強豪校です。2017年(平成29年)までに甲子園の出場回数は春夏通算32回。そのうち、春の大会では優勝2度、準優勝3度を成し遂げています。

夏の大会でも2度の優勝という名門の看板に恥じない堂々たる実績。大阪のみならず全国の高校野球ファンが、大阪の強豪を聞かれるとその名前を挙げる有名校です。

昭和中期、全国トップレベルの強さを誇った大体大浪商の野球部。1961年(昭和36年)、怪童と呼ばれた2年生エースの尾崎行雄氏を擁し、15年ぶり2度目の全国制覇した際に「V2」という言葉が流行しました。

また1979年(昭和54年)に「ドカベン」の愛称で親しまれた、香川伸行氏と牛島和彦氏の存在も欠かせません。「黄金バッテリー」と呼ばれた彼らは、その年の甲子園に一大旋風を巻き起こし、春の大会準優勝、夏の大会ベスト4。

大体大浪商の野球部は、その戦歴が証明するように大阪を代表する高校野球界の重鎮です。大阪地区大会などの好成績から、その勢いを取り戻しつつあるとも言われる大体大浪商。古豪復活に大阪のみならず、全国の高校野球関係者やファンの熱い注目を集めています。

【施設情報】

高校野球界の歴史的存在と言える「市岡高校」

高校野球界の歴史的存在と言える「市岡高校」

「大阪府立高校の雄」と言えば、創部から100年以上の歴史と伝統を持つ古豪・大阪府立市岡高等学校(以下、市岡高校)の名前が挙げられます。

全国屈指の激戦区と言われる大阪地区大会では、2017年(平成29年)の時点で13度の優勝を勝ち取っており、強豪の名に恥じない成績を収めている市岡高校。同校野球部は、さかのぼること1916年(大正5年)夏の大会で甲子園初出場を果たし、同大会では準優勝でした。そこから春夏を通じ、21回も甲子園に足跡を残しています。

練習風景に目を向けると、グラウンドを使える日が限られた(平日2回程)決して恵まれているとは言えない環境です。それでも1995年(平成7年)春の大会以来遠ざかっている甲子園出場という目標を明確に見定め、研鑽(けんさん)を積んでいます。

グラウンドの使えない日は、部員それぞれが自らの課題に取り組んだ基礎練習。休日は他校へと足を運び、実践感覚を養う練習試合、早朝の練習では、近隣住民への配慮から竹バットを使用したバッティングをします。どれも限られた条件の中、創意工夫を凝らした効率性の高い市岡高校ならではの特徴的な練習です。

ちなみに市岡高校野球部のシンボル的存在となっている三本線の帽子。100年の歴史が詰まった高校野球オールドファンを魅了するこの帽子は、甲子園歴史館にも展示されています。

また歴代の名選手や名監督などが名前を連ねる野球殿堂に、市岡高校野球部からは4人ものOBを輩出。このあたりからも大阪の高校野球界を代表する古豪校の歴史や伝統、その実力がうかがえます。

【施設情報】

  • 施設名:大阪府立市岡高等学校
  • 所在地:〒552-0002 大阪府大阪市港区市岡元町2-12-12
  • TEL:06-6582-0330

激戦区大阪の上位常連校に座する「近代付」

激戦区大阪の上位常連校に座する「近代付」

春夏の大会を合わせ、甲子園に11回の出場を果たしている近畿大学附属高等学校(以下、近大付)。1946年(昭和21年)に創部した近大付の野球部は、1990年(平成2年)の甲子園春の大会で、見事に全国制覇を果たしています。

ただし、それ以前は強豪校が名を連ねる大阪で「悲運のチーム」と呼ばれた時期もありました。1978年(昭和53年)~1987年(昭和62年)の間、夏の大阪地区大会決勝へ進みながらも敗れること5度。あと一歩のところまで迫るものの、目の前で甲子園出場を逃し続けたゆえにです。

1988年(昭和63年)、6度目の挑戦で桜宮高校を退け、甲子園・夏の大会に悲願の初出場を果たせたのも、その悔しさを力に変えることができたからでした。

サッカーやバスケットボール、水泳などの他スポーツも盛んな近代付の野球部は「文武両道」、「日々精進」がスローガンです。甲子園出場と全国制覇を第一の目標に掲げ、他校に引けを取らない選手層の厚さを武器に、人間力とチームワークで勝利を見据える近大付の野球に注目が集まっています。

【施設情報】

※この記事は、2018年2月時点の情報に基づいて作成されています。

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