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甲子園出場への切符をかけて、国内各地域の代表を決定する地方大会。広島大会には、約90校の高等学校が出場します。今回はその中から過去の実績や甲子園への出場歴などをもとに、全国的にも上位にランクインする「広陵高等学校」や「広島商業高等学校」をはじめ、6校の名門学校の野球部をご紹介。それぞれのクラブの特色や、活躍の歴史をまとめました。広島県でも有数の強豪校について、ぜひ知ってみて下さい。

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2018年7月19日

【高校野球】広島大会の強豪校、古豪の野球部の歴史

【高校野球】広島大会の強豪校、古豪の野球部の歴史

約90校の高等学校が出場する広島大会では、阪神甲子園球場を目指して熱い戦いが繰り広げられます。広島県には、全国高等学校野球選手権の常連校でもある「広陵高等学校」「広島商業高等学校」「如水館高等学校」などの強豪校が勢揃い。

今回は、それら広島大会で優秀な成績を収める注目の強豪校を6校ご紹介しましょう。

甲子園への出場歴や、地方大会での活躍の歴史、クラブの特色などを知っておくと、春の選抜や夏の甲子園の楽しみも増えます。ぜひ次回の広島大会観戦の参考にしてみて下さい。

全国高等学校野球選手権「広島大会」を知ろう

全国高等学校野球選手権広島大会について

「夏の甲子園」として知られる全国高等学校野球選手権。野球部員たちの憧れの地、兵庫県西宮市に位置する阪神甲子園球場で開催される全国大会に出場するためには、各地方で開催される地方大会で優勝しなければなりません。

2017年(平成29年)時点で広島大会には県内の約90校が参加。

広島県は1915年(大正4年)に行なわれた第1回大会から1947年(昭和22年)に行なわれた第29回大会までは山陽地方、1948年(昭和23年)に行なわれた第30回大会から1957年(昭和32年)の第39回大会までは西中国地方にそれぞれ区分され、広島大会として独立して地方大会を開催したのは1959年(昭和34年)の第41回大会が初めてです。

2010年(平成22年)以前には「御建公園野球場」「三次市営球場」「旧広島市民球場」などが試合会場として使用されましたが、それ以降の試合では主に「広島県総合グランド野球場(呼称・Coca-Cola West野球場)」「広島県立びんご運動公園野球場」「三原市民球場(呼称・やまみ三原市民球場)」「東広島運動公園野球場」「福山市民球場」などが利用されています。

また、広島県で愛されるプロ野球球団の「広島東洋カープ」が本拠地としている「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島(呼称・マツダスタジアム)」を広島大会の開会式や決勝戦などに使用するのも広島県ならではの特徴。

決勝戦まで勝ち進んだ2校のみが全面天然芝の同球場でプレーすることができます。

ここからは、広島大会の強豪校として知られる野球部を6校ご紹介しましょう。

圧倒的強さと歴史を誇る「広陵高等学校」

圧倒的強さと歴史を誇る広陵高等学校野球部

1896年(明治29年)に創立した長い歴史を持つ高等学校です。創立当初は高等学校ではなく、「数理学会」として設立されました。その後、1907年(明治40年)に広陵中学校を設立。現在の「広陵高等学校」が創立されたのは1948年(昭和23年)のことでした。

広陵高等学校の2017年(平成29年)時点での甲子園出場回数は、春に行なわれる選抜高等学校野球大会(通称・春の選抜)が23回、夏に行なわれる全国高等学校野球選手権(通称・夏の甲子園)が22回と、全国の出場校でもトップクラスです。

これまで夏の全国高等学校野球選手権では4回の準優勝、春の選抜高校野球大会では3回の優勝と3回の準優勝を経験しています。

なお、初出場を果たした1923年(大正12年)にはまだ広陵高等学校が設立されていなかったため、春の選抜の第2・3・5・6・9・12回大会及び夏の甲子園の第9・13・14・17回大会は、「広陵中学校」としてのチームで出場しました。

初出場となる1923年(大正12年)から2017年(平成29年)までの「春の選抜」「夏の甲子園」それぞれの出場実績は以下の通りです。

春の選抜

  • 1925年(大正14年)第2回大会…1回戦敗退
  • 1926年(大正15年)第3回大会…優勝
  • 1927年(昭和2年)第4回大会…決勝戦敗退
  • 1928年(昭和3年)第5回大会…1回戦敗退
  • 1929年(昭和4年)第6回大会…決勝戦敗退
  • 1932年(昭和7年)第9回大会…1回戦敗退
  • 1935年(昭和10年)第12回大会…決勝戦敗退
  • 1958年(昭和33年)第30回大会…1回戦敗退
  • 1959年(昭和34年)第31回大会…1回戦敗退
  • 1968年(昭和43年)第40回大会…準々決勝敗退
  • 1970年(昭和45年)第42回大会…準決勝敗退
  • 1980年(昭和55年)第52回大会…準決勝敗退
  • 1984年(昭和59年)第56回大会…1回戦敗退
  • 1991年(平成3年)第63回大会…優勝
  • 1992年(平成4年)第64回大会…2回戦敗退
  • 2000年(平成12年)第72回大会…2回戦敗退
  • 2001年(平成13年)第73回大会…2回戦敗退
  • 2002年(平成14年)第74回大会…2回戦敗退
  • 2003年(平成15年)第75回大会…優勝
  • 2004年(平成16年)第76回大会…1回戦敗退
  • 2007年(平成19年)第79回大会…準々決勝敗退
  • 2010年(平成22年)第82回大会…準決勝敗退
  • 2013年(平成25年)第85回大会…2回戦敗退

夏の甲子園

  • 1923年(大正12年)第9回大会…準々決勝敗退
  • 1927年(昭和2年)第13回大会…決勝戦敗退
  • 1928年(昭和3年)第14回大会…1回戦敗退
  • 1931年(昭和6年)第17回大会…準々決勝敗退
  • 1959年(昭和34年)第41回大会…2回戦敗退
  • 1962年(昭和37年)第44回大会…2回戦敗退
  • 1963年(昭和38年)第45回大会…3回戦敗退
  • 1964年(昭和39年)第46回大会…準々決勝敗退
  • 1965年(昭和40年)第47回大会…1回戦敗退
  • 1967年(昭和42年)第49回大会…決勝戦敗退
  • 1968年(昭和43年)第50回大会…準々決勝敗退
  • 1969年(昭和44年)第51回大会…2回戦敗退
  • 1971年(昭和46年)第53回大会…1回戦敗退
  • 1972年(昭和47年)第54回大会…2回戦敗退
  • 1980年(昭和55年)第62回大会…準々決勝敗退
  • 2002年(平成14年)第84回大会…準々決勝敗退
  • 2003年(平成15年)第85回大会…2回戦敗退
  • 2007年(平成19年)第89回大会…決勝戦敗退
  • 2008年(平成20年)第90回大会…2回戦敗退
  • 2010年(平成22年)第92回大会…2回戦敗退
  • 2014年(平成26年)第96回大会…1回戦敗退
  • 2017年(平成29年)第99回大会…決勝戦敗退

これらの出場歴からも分かるように、広陵高等学校は全国的に見ても圧倒的な強さと経験があります。

広陵高等学校野球部が誕生したのは1911年(明治44年)です。創部当時は庭球部と合同で「球術部」として活動していましたが、翌年の1912年(明治45年)4月に解体し、野球部として独立。

上記のように複数回の全国大会出場経験を持つ他、1929年(昭和4年)には上海遠征(4勝2敗)、ハワイ遠征(10勝7敗3分)と2度の海外遠征も経験しました。

2011年(平成23年)には創部100周年記念を迎え、大阪府の強豪校、大阪桐蔭高等学校を招待し、記念試合も実施。

旧広島市民球場と同じ広さが自慢の野球部専用グランドを保有し、野球部員にとってはスポーツ施設以上とも言える環境で甲子園出場を目指し、日々練習に励んでいます。

【施設情報】

甲子園への出場経験が豊富な「広島商業高等学校」

甲子園への出場経験が豊富な広島商業高等学校野球部

1899年(明治32年)に「広島商業学校」として創立した高等学校。

その後1901年(明治34年)に「広島県広島商業学校」と改称し、現在の「広島商業高等学校」と改称されたのは1968年(昭和43年)のことでした。最寄駅は広島電鉄「舟入南町電停」。

広島商業高等学校の2017年(平成29年)時点での甲子園出場回数は、春に行なわれる選抜高等学校野球大会が21回、夏に行なわれる全国高等学校野球選手権が21回と、全国の出場校の中でもトップクラスの強豪校です。

これまで夏の全国高等学校野球選手権では6回の優勝と1回の準優勝、春の選抜高校野球大会では1回の優勝と1回の準優勝を経験しています。

初出場の1916年(大正5年)から2017年(平成29年)までの「春の選抜」「夏の甲子園」それぞれの出場実績を見てみましょう。

春の選抜

  • 1929年(昭和4年)第6回大会…1回戦敗退
  • 1930年(昭和5年)第7回大会…1回戦敗退
  • 1931年(昭和6年)第8回大会…優勝
  • 1932年(昭和7年)第9回大会…1回戦敗退
  • 1933年(昭和8年)第10回大会…準決勝敗退
  • 1936年(昭和11年)第13回大会…1回戦敗退
  • 1938年(昭和13年)第15回大会…1回戦敗退
  • 1940年(昭和15年)第17回大会…2回戦敗退
  • 1947年(昭和22年)第19回大会…1回戦敗退
  • 1952年(昭和27年)第24回大会…2回戦敗退
  • 1956年(昭和31年)第28回大会…1回戦敗退
  • 1969年(昭和44年)第41回大会…準々決勝敗退
  • 1973年(昭和48年)第45回大会…決勝戦敗退
  • 1974年(昭和49年)第46回大会…2回戦敗退
  • 1983年(昭和58年)第55回大会…1回戦敗退
  • 1985年(昭和60年)第57回大会…1回戦敗退
  • 1987年(昭和62年)第59回大会…2回戦敗退
  • 1992年(平成4年)第64回大会…2回戦敗退
  • 1994年(平成6年)第66回大会…2回戦敗退
  • 1998年(平成10年)第70回大会…3回戦敗退
  • 2002年(平成14年)第74回大会…準々決勝敗退

夏の甲子園

  • 1916年(大正5年)第2回大会…準々決勝敗退
  • 1917年(大正6年)第3回大会…1回戦敗退
  • 1922年(大正11年)第8回大会…準々決勝敗退
  • 1924年(大正13年)第10回大会…優勝
  • 1929年(昭和4年)第15回大会…優勝
  • 1930年(昭和5年)第16回大会…優勝
  • 1956年(昭和31年)第38回大会…2回戦敗退
  • 1957年(昭和32年)第39回大会…優勝
  • 1966年(昭和41年)第48回大会…1回戦敗退
  • 1970年(昭和45年)第52回大会…2回戦敗退
  • 1973年(昭和48年)第55回大会…優勝
  • 1975年(昭和50年)第57回大会…準決勝敗退
  • 1977年(昭和52年)第59回大会…3回戦敗退
  • 1979年(昭和54年)第61回大会…3回戦敗退
  • 1981年(昭和56年)第63回大会…1回戦敗退
  • 1982年(昭和57年)第64回大会…決勝戦敗退
  • 1983年(昭和58年)第65回大会…3回戦敗退
  • 1984年(昭和59年)第66回大会…1回戦敗退
  • 1987年(昭和62年)第69回大会…1回戦敗退
  • 1988年(昭和63年)第70回大会…優勝
  • 2004年(平成16年)第86回大会…1回戦敗退

広島商業高等学校の野球部は、いずれも2017年(平成29年)現在、福岡ソフトバンクホークスに所属する柳田悠岐選手や、広島東洋カープの岩本貴裕選手、また元読売ジャイアンツの二宮至選手をはじめとする多くのプロ野球選手を輩出。

甲子園への出場回数も広陵高等学校と並ぶ程の実績を誇ります。

1916年(大正5年)の全国高等学校野球選手権第2回大会から出場しており、2017年(平成29年)に至るまで途切れることなく長く安定して出場しているのが特徴です。

【施設情報】

名物監督が指導する「如水館高等学校」

1940年(昭和15年)に創立した学校です。創立当初は「広島県三原工業学校」でしたが、その後50年以上の歳月をかけて改称や学科の拡充、校舎の移転などを繰り返し、1994年(平成6年)に現在の「如水館高等学校」を開校しました。

校舎は、JR「三原駅」「尾道駅」「松永駅」の各駅からバスで20~40分程度の三原市内に位置します。

如水館高等学校の2017年(平成29年)時点での甲子園出場回数は、春に行なわれる選抜高等学校野球大会が1回、夏に行なわれる全国高等学校野球選手権が7回

春の選抜、夏の甲子園など全国大会試合での優勝経験はありません。

初出場の1997年(平成9年)から2017年(平成29年)までの「春の選抜」「夏の甲子園」それぞれの出場実績は以下の通りです。

春の選抜

  • 2005年(平成17年)第77回大会…2回戦敗退

夏の甲子園

  • 1997年(平成9年)第79回大会…1回戦敗退
  • 1998年(平成10年)第80回大会…2回戦敗退
  • 1999年(平成11年)第81回大会…1回戦敗退
  • 2001年(平成13年)第83回大会…2回戦敗退
  • 2006年(平成18年)第88回大会…2回戦敗退
  • 2009年(平成21年)第91回大会…1回戦敗退
  • 2011年(平成23年)第93回大会…準々決勝敗退

如水館高等学校の野球部は、1993年(平成5年)に創部。当時は三原工業高等学校でしたが、翌年如水館高等学校が開校すると同時に、同校の野球部へと移行しました。

甲子園出場の裏には、「迫田穆成監督」の姿があります。迫田監督は、広島商業高校の野球部で選手として活躍していた経歴を持つ名物監督で、監督自身の在学中にも甲子園出場を果たし、8番左翼手として活躍しました。

卒業後は野球と離れた時期もあったものの、社会人野球や高野連こと「日本高等学校野球連盟」にて公認審判として活躍し、1966年(昭和41年)には広島県内の強豪校のひとつである広島商業高等学校のコーチに就任。

さらに1993年(平成5年)に、如水館高等学校の前身である三原工業野球部の監督に就任すると、それまで甲子園出場経験のなかった同校が広島県東部での強豪校へと成長を遂げました。

迫田監督の就任後に如水館高等学校の甲子園出場歴が急増していることからも、監督の熱心な指導をうかがい知ることが可能です。

敷地内には専用の野球場も備えており、強豪揃いの広島大会での代表枠を目指して日々練習に励んでいます。

【施設情報】

多くのプロ野球選手を輩出する「広島工業高等学校」

多くのプロ野球選手を輩出する広島県立広島工業高等学校野球部

1897年(明治30年)に創立した学校です。創立当初は「広島県職工学校」としての設立でしたが、その後1968年(昭和43年)に現在の「広島工業高等学校」と改称され、2017年(平成29年)に創立120周年を迎えました。

最寄駅はJR「広島駅」。駅からは広島電鉄バスまたは広島バス(赤バス)への乗り換えが必要です。

広島工業高等学校の2017年(平成29年)時点での甲子園出場回数は、春に行なわれる選抜高等学校野球大会が5回、夏に行なわれる全国高等学校野球選手権が5回。春の選抜、夏の甲子園など全国大会試合での優勝経験はありません。

初出場を果たした1975年(昭和50年)から2017年(平成29年)までの「春の選抜」「夏の甲子園」それぞれの出場実績は以下の通りです。

春の選抜

  • 1975年(昭和50年)第47回大会…2回戦敗退
  • 1986年(昭和61年)第58回大会…準々決勝敗退
  • 1988年(昭和63年)第60回大会…2回戦敗退
  • 1989年(平成元年)第61回大会…準々決勝敗退
  • 1995年(平成7年)第67回大会…2回戦敗退

夏の甲子園

  • 1978年(昭和53年)第60回大会…2回戦敗退
  • 1985年(昭和60年)第67回大会…2回戦敗退
  • 1986年(昭和61年)第68回大会…3回戦敗退
  • 1992年(平成4年)第74回大会…準々決勝敗退
  • 2012年(平成24年)第94回大会…1回戦敗退

広島工業高等学校の野球部が創部したのは1937年(昭和12年)。

卒業生には、いずれも2017年(平成29年)現在、広島東洋カープに所属する新井貴浩選手や、北海道日本ハムファイターズの宇佐美塁大選手、横浜DeNAベイスターズの石田健大選手、東京ヤクルトスワローズの2軍監督の高津臣吾氏など複数名がおり、プロの世界で活躍。

校舎敷地内のグラウンドには野球場もあり、甲子園での全国制覇を目標に練習を重ねています。

【施設情報】

強豪相手に健闘する「崇徳高等学校」

強豪相手に健闘する崇徳高等学校野球部

1875年(明治8年)の創立以来、2017年(平成29年)に至るまで140年以上もの歴史を誇る崇徳高等学校

1875年(明治8年)から1900年(明治33年)までの25年間を「学仏場・進徳教校時代」、1901年(明治34年)から1912年(明治45年)の11年間を「第四仏教中学時代」、1913年(大正2年)から1948年(昭和23年)の35年間を「旧制崇徳中学校時代」、そして1948年(昭和23年)から2017年(平成29年)現在に至るまでを「崇徳高等学校時代」とし、長きにわたって歴史と伝統を築いてきました。

崇徳高等学校の2017年(平成29年)時点での甲子園出場回数は、春に行なわれる選抜高等学校野球大会が3回、夏に行なわれる全国高等学校野球選手権が2回

春の選抜では1回の優勝経験があり、夏の甲子園での優勝経験はありません。

初出場の1961年(昭和36年)から2017年(平成29年)までの「春の選抜」「夏の甲子園」それぞれの出場実績は以下の通りです。

春の選抜

  • 1976(昭和51年)第48回大会…優勝
  • 1978(昭和53年)第50回大会…1回戦敗退
  • 1993(平成5年)第65回大会…2回戦敗退

夏の甲子園

  • 1961(昭和36年)第43回大会…準々決勝敗退
  • 1976(昭和51年)第58回大会…3回戦敗退

甲子園出場回数は少ないものの、地方大会の広島大会では、春季・秋季ともに強豪校を相手に健闘しています。

2016年(平成28年)の春季広島大会準決勝戦では、県内トップレベルとも言える広陵高等学校を相手に7対5の勝利。さらに決勝戦では如水館高等学校と試合を行ない、2対1で勝利しています。

2013年(平成25年)の秋季広島高等学校野球大会では準優勝と好成績を収め、前年の2012年(平成24年)の同大会では見事優勝も果たしました。

元広島東洋カープ選手及び元2軍監督の山崎隆造氏や、同じく元広島東洋カープ選手の小川達明氏、元千葉ロッテマリーンズの川本良平氏など、日本の野球界に貢献したプロ野球選手を多く輩出しているのも特徴です。

さらに、プロ野球選手だけでなく、早稲田大学野球部の監督を務めた経験を持つ應武篤良氏や、三菱重工広島野球部コーチの経験を持つ山田晋平氏をはじめとする優秀な指導者たちも崇徳学園を卒業しています。

【施設情報】

甲子園へ6年連続出場の経験を持つ「呉港高等学校」

甲子園へ6年連続出場の経験を持つ呉港高等学校野球部

1818年(文政元年)に校祖である武田宗左衛門によって、現在の山口県岩国市玖珂町に開設されたのが、のちに「呉港高等学校」となる私塾。その後、改称や移転を経て現在に至ります。

校舎は瀬戸内海を眺められる呉市に位置し、最寄駅はJR「広駅」。

呉港高等学校の2017年(平成29年)時点での甲子園出場回数は、春に行なわれる選抜高等学校野球大会が5回、夏に行なわれる全国高等学校野球選手権が6回です。

春の選抜での優勝経験はありませんが、夏の甲子園では1回、優勝を経験しました。

初出場の1932年(昭和7年)から2017年(平成29年)までの「春の選抜」「夏の甲子園」それぞれの出場実績は以下の通りです。

春の選抜

  • 1933(昭和8年)第10回大会…2回戦敗退
  • 1934(昭和9年)第11回大会…1回戦敗退
  • 1936(昭和11年)第13回大会…2回戦敗退
  • 1939(昭和14年)第16回大会…2回戦敗退
  • 1963(昭和38年)第35回大会…準々決勝敗退

夏の甲子園

  • 1932(昭和7年)第18回大会…2回戦敗退
  • 1933(昭和8年)第19回大会…準々決勝敗退
  • 1934(昭和9年)第20回大会…優勝
  • 1935(昭和10年)第21回大会…準々決勝敗退
  • 1936(昭和11年)第22回大会…2回戦敗退
  • 1937(昭和12年)第23回大会…準々決勝敗退

なお、第10回の春の選抜、第18・19回の夏の甲子園は「大正中学校」、第11・13・16の春の選抜、第20・21・22・23回の夏の甲子園は「呉港中学校」として出場。

上記のように、呉港高等学校は1963年(昭和38年)以降の甲子園出場は実現していませんが、地方大会の広島大会では、春季・秋季ともに上位まで進み、成績を残しました。

2017年(平成29年)春季広島大会では準々決勝戦、2016年(平成28年)秋季広島大会では準決勝戦、2015年(平成27年)春季大会では準々決勝戦、2013年(平成25年)選手権広島大会では準々決勝戦へ進む程の実力です。

監督の佐々木幸治氏は広島商業高等学校出身で、自身も春の選抜大会にてベスト8入り。また卒業後に所属した三菱重工業広島野球部の都市対抗野球大会で優勝するなどの好成績を収めた経験を持つ実力派の監督です。

かつて県内有数の強豪校と言われ、夏の甲子園への6年連続出場、通算11回もの快挙を残す呉港高等学校の野球部。再び甲子園のグラウンドに姿を見せることを期待しましょう。

【施設情報】

※この記事は、2018年4月時点の情報に基づいて作成されています。

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